居場所の効用と効果

居場所の効果

ふれあいの居場所では、人と人が関わり合うことで、その人が本来持っている能力が呼びさまされ、その人らしさが輝いてい見える…

そのような光景がよく見られます。そんなふれあいによる効果について、いくつかのエピソードをご紹介します。

囲碁教室がきっかけで、子どもと高齢者がふれあう関係に

「お父さんに絶対に勝ちたいから、教えてください!」と小学3年生のA君。土曜日になると「茶話やか広間」では、小学生のための囲碁教室が開かれる。A君は、毎週ここに来て、囲碁の先生たちに教えてもらいながら、腕を磨いている。真剣なA君を応援しようと、教える先生方も力が入る。囲碁教室は、多いときには30人ほどの子どもたちで賑やかになる。先生には、囲碁が得意な地域の高齢者やお母さんたちが5~6人。「朝、学校に行く子どもたちに元気にあいさつをされて、びっくりするもんね」とうれしそうなYさん。これがきっかけで、町で見かけたときにあいさつをするような関係にもなってきた。初めの頃、子どもたちは、広間に入ると靴を脱ぎ散らかし、カバンを投げ出して、囲碁をはじめていた。その様子に「元気がいいね~でもね…」と高齢者たちが優しく注意をし、そして、温かくほめた。それから子どもたちは、自然に靴を並べて広間に入る。また、学校帰りに広間に寄り、高齢者たちと昔遊びをしたりと楽しむ関係も生まれている。

人と交わることが苦手な方も…

元教師だという女性。高齢になってからは、あまり人と交わるようなところには出たがらない。ところが、「ハナさんハウス」だけは毎回のように通ってくる。あるとき、体調をくずして入院した。かろうじて退院したものの、自由がきかず、「ハナさんハウス」に行けなくなってしまった。しばらくすると、近所の公園内を手押し車を押しながらぐるぐる回る女性の姿があった。「何周もできるようになったらハナさんハウスに行きます。」居場所に行きたいがためのリハビリだったのだ。人の輪に加わるのが苦手なこの女性にとって、いつしか居場所の存在が自分を受け入れてくれる居心地のいいものになっていたのだろう。

要介護4から「阿波踊り」へ

一人暮らしで83歳女性。8年ほど前から脳血管障害で手術し入退院を繰りかえしていた。その後、自宅での生活を希望したが、要介護4と認定され入浴もできず気落ちしていた。知人が「幸せの家・ありがとう」に連絡し参加するようになった。この家に来ると、楽しくて元気になる「この家は不思議な家。きっと幸せになる何かがある」と。それでも家に帰るとめまいを感じ不安にもなる。また、元気になると来るのを断られると心配していたが、「あなたがいると、とっても話が盛り上がるのよ」と感謝された。確かに、彼女の周りにはいつでも笑い声が絶えない。「みんなのボランティアさん!」と声がかかる。そんなある日、土地柄らしく阿波踊りのボランティアの方が来られた。踊りが盛り上がる頃、次々と元気な高齢者やスタッフが輪の中に入っていく。ふと気がつくと踊りの輪の中に彼女の笑顔を見つけた。

ほとんど寝たきりの方が「歌姫」に

87歳になる女性。骨粗鬆症が悪化し、圧迫骨折で8ヶ月間ほとんどベッドの上で寝たきりの状態で過ごした。そのあいだ人との交わりも少なくなり、もともとおしゃべり好きの人だったのにだんだんウツのような傾向が見られるようになった。やっと骨折の痛みがひいてから「高湯の里」に行くようになり、地域のいろいろな人が参加する「居場所」のスペースにやってくる小さな子どもたちや、自閉症や引きこもりの若者達と関わりを持つようになった。小さな子どもの手を引いたり、子どもたちとおやつを食べ、散歩をしたりするうちに、体も動くようになり、元気なかつての明るいその方らしさが戻ってきた。若い頃地元で小さなお店屋さんを開いていた方で、お客さんを相手にいろいろな話をしたり、相談事を聞いたりという人だったそうだ。その時のような「居場所」でのいろいろな人とのふれあいが元気を呼び戻すきっかけになったようだ。今ではマイクを持ち(と言うか、離さず?)、民謡・童謡から歌謡曲まで、カラオケのレパートリーを次々と歌いあげる「歌姫」に。そこに集まる人の存在が一番のリハビリだった。

生活が変わり元気をなくした方が、居場所のスタッフに

地域のお医者さんからの紹介があって、「コミュニティ喫茶『欅』」に来られることになったKさん。大阪でご主人と暮らしていたが、ご主人が亡くなられたのを機に千葉県の長男の家族と暮らすことになった。土地柄にも新しい家族にも、慣れない事尽くめでの生活で、愚痴をこぼすところもなく、食欲や生活の意欲をなくし、ノイローゼのような状態になってお医者にかかったのだ。

初めてのお迎えの車中で、つらい思いを話し続ける。「知らない土地で、若い家族と急に一緒に暮らすのは、いろんな点でストレスがたまること。どうぞ思い切り吐き出してください」と伝え、もっぱらスタッフが聞き役になった。やるせない気持ちを安心して吐露できるところ、誰も告げ口したり、たしなめたりしないでそのまま受け止めてくれるところが、彼女を次第に元気づけ、食欲も出はじめた。やがて、周りのお年寄りたちとも仲良くなり、お世話をし、『欅』の受付を引き受けてくれるようになった。さらに、折り紙の勉強し、お年寄りや子どもたちに手ほどきをするようになり、86歳になられた今、ますます元気で、『欅』の重要なスタッフになっている。

杖をつかないと歩けない元美容師さんが立ち上がって髪を切った

居場所には定期的に来られる女性。下半身が不自由なので杖が手放せない。みんなとの外出にも積極的に参加していない。自由な居場所なので一緒に何かやらなくてはならない、ということはない。でも、○○さんらしさってと考えた「もうひとつの家」のスタッフが「○○さん、今度ここに来ている人の髪を切ってよ、みんななかなか一人で美容院へ行けないのよ」と元美容師さんだった彼女に声をかけた。すると、次の時、かつて愛用したカットのセットを持ってやって来た。床に新聞紙を敷いてMさんが座り、元美容師さんはイスに座ったままでカットをはじめた。ところが…右手にはさみ、左手でMさんの髪をさわる元美容師さんが立ち上がっている! みんなの見守る中で真剣な顔。「はさみを持つと別人」とその時から「居場所の美容師さん」として活躍してくれている。